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障害のあるお子さんの暮らし
(13トリソミー)

障害のある・なしにかかわらず、お子さんは一人ひとり、さまざまな個性があります。ライフステージに応じてさまざまな福祉サービスや社会資源を活用しながら、お子さんがいきいきと自分らしく生活ができることを目標に、焦らずに育てていきましょう。本コンテンツでは、13トリソミーのあるお子さんとご家族の暮らしや、それぞれの思いについて紹介しています。

MOVIE

ドキュメンタリー|13トリソミーのある人の暮らし

「6歳 女の子」

ドキュメンタリー|13トリソミーのある人の暮らし

「9歳 女の子」

ドキュメンタリー|13トリソミーのある人の暮らし

「5歳 女の子」

ドキュメンタリー|13トリソミーのある人の暮らし

「フォトライブラリー」

※映像の二次利用はお控えください。

令和5年度 こども家庭庁 出生前検査認証制度等啓発事業
ドキュメンタリー「13トリソミーのある人の暮らし」制作協力一覧

音楽 日向 敏文 / 撮影 佐藤 力 / 編集・整音 河村 吉信
ディレクター 長谷川 玲子 / 演出 松田恵子 / プロデューサー 河村 正敏
制作 セイビン映像研究所
協力 13トリソミーの子供を支援する親の会 / PROJECT13 / NPO法人 親子の未来を支える会
事業アドバイザー 西山 深雪(認定遺伝カウンセラー®
コーディネーター 水戸川 真由美(NPO法人 親子の未来を支える会)
事業企画・運営 株式会社PDnavi / 株式会社オズマピーアール

宏江さん・壽音(じゅの)さん(13歳)

壽音さんは令和5(2023)年に13歳 になりました。生まれたときから母親の宏江さんと二人で暮らしています。宏江さんは妊娠中にお子さんに障害がある可能性を告げられ、「命さえ無事であれば」と誕生を待ち望んで出産を迎えました。また重い障害のある子を育てていく過程で体験した困難や孤独をきっかけに、重症心身障害児・医療的ケア児のデイサービスを立ち上げ、現在2施設を運営しています。

特別支援学校に通い在宅サービスを利用して自宅で過ごす日常

宏江さん:
「ショッピングモールで、私の服を見ているときと壽音ちゃんの服を見ているときだと、あからさまに態度が違うんですよ。子ども服のコーナーに行くと表情がキラーンとして、本当に楽しそうにしてます」

壽音さんの生活は朝、スクールバスのお迎えで特別支援学校に通うところから始まります。学校が終わると自宅に帰り、訪問看護、リハビリ、ヘルパーの支援を受けながら宏江さんの帰りを待つというスタイル。在宅サービスが入らない日にデイサービスを利用しています。

壽音さんは自分の気持ちを言葉で表現することはできません。冒頭のエピソードもしかり、一緒に過ごしているといろいろな感情が伝わってきて心の成長を感じる場面も増えてきたと宏江さんは言います。

宏江さん:
「私の運営するデイサービスでは壽音ちゃんはどうしても気を遣ってしまうみたいで、私が他のお子さんと関わって忙しそうだから向こうで日なたぼっこでもしていようかな、という感じですっと窓際に行ってみたりして、ああ、気を遣ってるなというのがわかるんです。気を遣わせるのもよくないなと、他の施設も利用するようにしてるんですよ」

出産前に障害の可能性がわかり
「どうしてもこの子に会いたい」と誕生を待ち望む

宏江さんは妊娠7か月目の検診で、医師から発育不全を指摘され、即入院となりました。

宏江さん:
「病院で『出産できるかどうかは赤ちゃんの生命力次第だよ』と告げられました。そのとき私は、どうしてもうちの子に会いたい、なんとか生まれてきてほしいという気持ちのほうが強くて。生まれてきた壽音ちゃんの身体はとても小さかったですが、私は力強さを感じて、一緒に生きていこう、とだけ思いました。障害や病気の可能性はいったん忘れて、誕生の喜びのほうが大きかったです。13年経った今もその気持ちは変わらないですね」

社会資源はどんどん活用。素直に助けてと言って繋がる

出産後、退院までは10か月を要しました。その後保育士資格取得を目指すも、当時は重症心身障害児の保育を受け入れてくれる場所はほとんどないことを痛感します。このときに経験した孤独が、宏江さんにとっては重症心身障害児・医療的ケア児のデイサービスを立ち上げる大きな動機になりました。

宏江さん:
「この先万一自分が倒れたときのことを真っ先に考えて、社会資源はどんどん活用していこうと働きかけてきました。保育園やデイサービスも、最初はほとんど利用を断られましたが、自分の立場をきちんと話して、素直に助けてくださいと伝えて繋がっていったんです。今は自分自身がデイサービスを運営している立場ですが、その頃に自分が抱いた思いやできごとは運営する上での強みになっていますね」

デイサービスへの通所を経て子どもたちが得ること

宏江さんは2施設のデイサービスを運営し代表を務められています。

施設には重い心身の障害を持つ子もいれば、気管切開のみで走ったり遊んだりしている子もいます。多様な子どもたちが同じ時間をともに過ごすことで、子どもたち同士でも互いに影響を与え合い、それぞれの発達を見せてくれることは、宏江さんにとっても嬉しく感じることだといいます。

宏江さん:
「例えば一日の体調の変化でどうしてもイライラして周りにあたってしまう子がいても、『◯◯ちゃんは調子が悪いんだね』と理解できます。子どもながらに、僕も私も障害があって、配慮が必要な部分があるということを認め合っているのかなと思います。ともに成長する相乗効果もあれば、ぶつかることもあるのはどんな子どもも変わらなくって。様々な障害のある子どもたちが一緒に過ごせる環境はまだ少ないから、私たちのデイサービスでそういう時間を過ごしてもらえたらなと思います」

落ち込むときはとことん落ち込む。
不安が大きいほど達成したときの喜びは大きい

壽音さんが生まれてからもさまざまな人と繋がりを積極的に持ち、デイサービス開所など精力的に活動されている宏江さん。その中で幾度も訪れたであろう不安や困難をどのように乗り越えてこられたのか聞いてみると、少し予想外の答えを聞くことができました。

宏江さん:
「私、けっこうネガティブなんですよ。でも落ち込むときは開き直って、どん底まで落ち込むことにしてます。ダメな日、何もできない日や時間があっていい。それで少し前向きになってきたら、思い切って出かけたり、レスパイトを利用して自分の時間を楽しんだりしています。さまざまな施設やサービスを利用することで、自分自身の息抜きや楽しむ時間も持てるようになったことは大きいです。その辺は普通のお母さんと変わりませんね。

子どもと一緒に過ごすにも、イチゴ狩りに行く、温泉に行くなど、ハードル高いと思ってしまいますよね。でもいったん実行してしまえば、『できた!』という達成感はものすごく大きいです。不安が大きいほど達成したときの喜びも大きいから、それを体験してほしいと思います」

佳奈子さん・楓介さん(13歳)

楓介さんは令和5年(2023)年に特別支援学校の中等部に進学し、13歳を迎えました。母親の佳奈子さんと父親との3人で暮らしています。楓介さんは生まれた後に13トリソミーがあることがわかり、ご両親は大きなショックを受けながらも、ありのままの楓介さんを受け入れ、一人の愛しい子どもとして育ててきました。

小学部卒業記念に、6年間の頑張りに思いを馳せて作った晴れ着

佳奈子さん:
「卒業のお祝いに、楓介に手作りで晴れ着を作ったんです。小学部卒業を迎えることができる、その重大さを思うと、親として少しでも楓介の6年間の頑張りに応えたい、記念すべき晴れ舞台に華を添えたいなという気持ちが湧いてきて」

晴れ着を着せてあげたいという佳奈子さんの声を聞き、仲間が協力を申し出てくれました。同級生の男の子2人の親御さんも手を挙げ、3人揃って晴れ着で卒業式に出ようと、みんなで集まってそれぞれの晴れ着を作り上げたそうです。そういった他の親御さんのご協力や交流は佳奈子さんにとって嬉しく、そして楽しいものでした。

佳奈子さん:
「ここ間違えた!とか、みんなであれこれ言いながら作るのも楽しかったですし、それを楓介に着せられたときの喜びも忘れられません。ここまで育ってきてくれたお祝いを盛大にできてよかったなと思っています」

出産後に13トリソミーが判明
子を可愛がる夫の姿を見て受け入れの第一歩が始まる

楓介さんに13トリソミーという染色体異常があることがわかったのは、出産後のことでした。出産予定日まであと1か月ほどという時に体調が急変し緊急入院、帝王切開で出産することに。出生後の検査で13トリソミーの診断を受けました。

突然訪れた状況に、佳奈子さんは茫然自失として、事実をなかなか受け止められませんでした。その心情が少し変わったのは、NICUにお見舞いに来た夫の姿を見てからだといいます。

佳奈子さん:
「帝王切開だったので2日間はベッドに寝たきりで、その間赤ちゃんには会っていませんでした。3日目、自分一人では自信がなくて、見舞いに来た夫を待って一緒にNICUに行きました。その時点で、夫はすでに3日前から楓介に会っていたからすでに私よりも慣れていたんです。『かわいい、かわいい』と言って、抱っこさせてもらっていて。夫のその姿を見て、この子は本当に私たちの子なんだな、と思うことができました。それが受け入れの第一歩だったかなと、今になってみれば思います」

「目の前の楓介だけ見て育てる」と決めた2年間

出産を迎えてから約2年間、佳奈子さんは13トリソミーについてほとんど情報収集をせずに過ごしました。13トリソミーの告知を受けた時点で、さまざまな情報が入ってきて「これ以上ネガティブな情報を受け止める余裕は、私にはない」と考えたのだそうです。

佳奈子さん:
「調べていろいろなことを知っても、それがこの子に当てはまるかどうかはわからない。一喜一憂して心がざわざわするよりも、目の前の楓介だけを見て育てていけばいいと思って、何も調べないことにしました」

容態が不安定だったこともあり、ほとんど家に籠もって暮らしていたという楓介さん。その生活に変化が出始めたのは2歳になった頃でした。成長して体調が安定してきたことから必要な手術の検討も始まり、それを機に、楓介さんの役に立つなら13トリソミーのことを調べてみようと佳奈子さんの気持ちが変わったのです。そこで見たのは、手術を乗り越えて過ごす年長の子どもたちの姿でした。

佳奈子さん:
「手術に踏み切る勇気になり、新しいことにチャレンジしてみようかなと思えるきっかけにもなったんです。私は情報に触れるタイミングがちょっと遅かったとは思いますが、自分なりにベストのタイミングだったなと思っています。13トリソミーだと出産後に知ったことについても、私にとってはそれでよかったと思っています。知らなかったことで出産後、何の準備もなく対峙することになってしまいましたが、その代わり妊婦生活は100%楽しむことができたんですよね。いろいろな情報をどう受け止めるのか、どのタイミングで受け止めるのかは、無理はせず自分のペースでいいんじゃないかなと思います」

外に出て初めて知った、仲間との繋がりの大切さ

楓介さんと一緒に外に出るようになって、最も大きな変化は「仲間ができた」ことでした。2歳を機に通い始めた療育センター、そしてそれ以降に出会っていく親同士の繋がりは、佳奈子さんにとってとても大切なものになったといいます。

「医療的ケア児だけれど自由に動ける子もいれば、肢体が不自由な子もいて、障害は違えど、みんな通る道は一緒、悩むことも一緒。会おうと思えば毎日顔を合わせられる仲間が学校にできたのは、とても大きいですね」

小学部卒業で晴れ着を着せてあげたいという佳奈子さんの背中を押したのも、協力するよと言ってくれた仲間、一緒に作ろうと乗ってくれた仲間でした。そういった親御さん同士の交流がとても楽しいそうです。

また、今は若い世代を中心に、13トリソミーのお子さんを持つ方同士がSNSで交流をすることも増えてきているそうです。佳奈子さんも、楓介さんが10歳のときにSNSのアカウントを作り、楓介さんの普段の生活の様子を発信するようになりました。

佳奈子さん:
「SNSだと、楓介よりもずっと小さいお子さんが多い印象ですね。みなさんに、13トリソミーだけど10歳を迎えられて、元気に過ごしている様子を見せたいなって思い立ったんです。私がかつて、13トリソミーの子たちが成長している様子を見て勇気づけられたように、悩んでいることがあるとしたら、今のあなたのままでいいんだよ、って伝えてあげたいですね」