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障害のあるお子さんの暮らし
(18トリソミー)

障害のある・なしにかかわらず、お子さんは一人ひとり、さまざまな個性があります。ライフステージに応じてさまざまな福祉サービスや社会資源を活用しながら、お子さんがいきいきと自分らしく生活ができることを目標に、焦らずに育てていきましょう。本コンテンツでは、18トリソミーのあるお子さんとご家族の暮らしや、それぞれの思いについて紹介しています。

MOVIE

ドキュメンタリー|18トリソミーのある人の暮らし

「1歳 女の子」

ドキュメンタリー|18トリソミーのある人の暮らし

「4歳 女の子」

ドキュメンタリー|18トリソミーのある人の暮らし

「13歳 女の子」

ドキュメンタリー|18トリソミーのある人の暮らし

「フォトライブラリー」

※映像の二次利用はお控えください。

令和5年度 こども家庭庁 出生前検査認証制度等啓発事業
ドキュメンタリー「18トリソミーのある人の暮らし」制作協力一覧

音楽 日向 敏文 / 撮影 佐藤 力 / 編集・整音 河村 吉信
ディレクター 長谷川 玲子 / 演出 松田 恵子 / プロデューサー 河村 正敏
制作 セイビン映像研究所
協力 18トリソミーの会 / Team18 / NPO法人 親子の未来を支える会
事業アドバイザー 西山 深雪(認定遺伝カウンセラー®
コーディネーター 水戸川 真由美(NPO法人 親子の未来を支える会)
事業企画・運営 株式会社PDnavi / 株式会社オズマピーアール

太一さん・心咲さん(12歳)

心咲さんは令和5(2023)年に12歳になりました。父親の太一さんと母親、そして3人の妹の6人家族です。妊娠36 週で18トリソミーがあると告知を受け、大きな不安を抱えながらも、生まれてくる子のためにできるだけの準備をして迎えました。そして12年にわたり心咲さんの成長を支えながら、写真展を主催するなど、18トリソミーのある子をとりまく多様な家族の形を伝える活動にも取り組んでいます。

心咲さんは家族の気持ちを落ち着かせてくれる存在

太一さん:
「心咲はなんだか、僕らの心を落ち着かせてくれる存在なんですよ。妹たちは僕らから叱られたりすると、そっと心咲のそばに行ってるのをよく見ます。僕も仕事から帰ってきたらまず、夕飯前に心咲のところに行って、はあって一息ついてのんびりしてます」

心咲さんは、4歳下、そして2歳下(双子)の妹の4人きょうだい、そして両親の6人家族で賑やかに暮らしています。特別支援学校にスクールバスで通い、デイサービスや訪問看護、訪問介護も利用しながら生活しています。

もともとアクティブな性格の太一さんは、心咲さんの体調も見ながら積極的に外に出かけ、プールに行くなど運動も行っています。これまで2回、心咲さんと2人でアメリカ、カナダへの旅行も実行しました。

太一さん:
「僕がじっとしていられないタイプなんで(笑)。もっと小さいときは、しょっちゅう心咲と2人で電車に乗ってお出かけしてましたね。プールもずっと僕が一緒に行っていたんですが、学校に入ってからはプールの授業もあったりして。 年齢を重ねていくにつれ、家族以外と関わる時間も増えてきたことはいいことだと思っています」

はっきり告知を受けたところが、親としての時間のスタート

心咲さんに18トリソミーの染色体異常があることを知らされたのは、太一さんの妻が妊娠36週の時でした。

太一さん:
「医師には『お腹の中で亡くなってしまう可能性もある』とはっきり言われました。想像もしていなかったことで動揺しましたし、両親の反応からも諦めが見受けられました。でも私たち夫婦はどうしてもそうは思えなくて。心臓の手術などもできる東京の病院に転院させてもらうことにしました」

37週で東京の病院に転院し、それから40週6日を待って出産。ぎりぎりまでお腹の中で大きくなるのを待つという判断をはじめ、18トリソミーの子が生まれてくるからにはそのための準備をしっかりしよう、という病院のスタンスに救われたといいます。

太一さん:
「でも、今考えてみれば、最初に言われた言葉がオブラートに包まれていたら、もしかしたら違う選択をしたかもしれません。リアルな言葉で告げられたことで、自分たちは産まれることを考えたい、そして産まれた後のことを考えたら今どうすればいいか、と考え進めることができました。それが“親としての時間”のスタートだったんですね。郷里の病院の先生方には、東京の病院に繋ぐ最後の最後までサポートしていただき感謝しています。心咲が大きくなってから挨拶にも行きました。

身近で相談できる人は家族、そして病院の先生や看護師さんだけでした。心が動揺している中では、やはり身近にいる医療者の方から、その先のことを示してもらえると次の準備を考えやすいことは実感しました。僕たちのような家族は、医療者の方から18トリソミーについてわかりやすくまとめられていたり、相談先が示されているようなサイトなどを教えてもらえたら、助けになると思います。」

18トリソミーのある子と家族の幸せな時間を伝える写真展

太一さんは、18トリソミーのあるお子さんとその家族を支援する団体の代表を務めています。ご家族から写真を募り、各開催地在住のご家族が中心となって18トリソミーのお子さんたちの写真展を開催する活動です。これまで全国30カ所以上で展示を実施してきました。

太一さん:
「もともとは2008年に前の代表が5人程度で始めた小さなグループで、僕が2013年に引き継ぎました。18トリソミーで生まれてきた子どもやそのご家族はすごく大変な人生を送っているだろうと想像する方が多いと思います。でもそういう厳しいところだけじゃなくて、家族の楽しい時間や幸せな時間、ポジティブな気持ちがこんなにあるんだよということを、写真展を通じて伝えていきたいんです。

もともとは『子どもたちのお披露目会』をしたいという気持ちから始まったと聞いていますが、今もその思いは変わっていないですね」

また、この展示は、訪れた人の繋がりをつくる機会にもなっていると太一さんはいいます。同じ18トリソミーのある子のご家族同士が語り合うこと。これから出産を迎える人が、18トリソミーのことを知りたいと話を聞きにくること。立ち寄った方が、同じ地域に多様な子どもが暮らしていると知ること。病院の先生やサポートするスタッフの方々にも、生まれた子どもたちのその後の成長した姿や家族のありさまを見てもらうこと。18トリソミーの子どもを取り巻くさまざまな人の繋がりが、ここで生まれています。

太一さん:
「写真展で展示した写真をもとに写真集も出版しました。こうやって形に残していくことは、全国、世界にいる18トリソミーのある子と家族が繋がっているという証明にもなると思うんです。

人が命を育む限り、これからも心咲と同じように生まれてくる子どもは当然いなくなることはありません。だからこそ、形を残していく活動を継続することで、将来その人たちにも、こんな風に家族に愛されて生きている、生きた子たちがいるよという姿を伝えていくことが大事なのかなと考えています」

俊輔さん・希(のぞみ)さん

希さんは2012年3月に生まれました。妊娠7カ月のときに18トリソミーの確定診断を受け、生まれてくる子に対して最大限の準備を整えて出産を迎えました。希さんは出生33分後に息を引き取りました。その3年後に長女を迎えましたが、ご一家は今も希さんとともに家族の時間を重ねています。

妊娠7カ月で18トリソミーの診断。最大限の準備をして誕生を迎えた

俊輔さん:
「今年、十三回忌を迎えます。そう思うとずいぶん経ちましたね。小さな体のあたたかさや甘いようなにおい、昨日のことのように憶えていることもたくさんあります」

俊輔さんの長男・希さんは、お腹の中にいるときに18トリソミーの染色体異常があると診断を受けました。妻の妊娠7カ月の頃、発育不良やいくつかの所見を指摘され、超音波検査などで18トリソミーの可能性がわかりました。その後羊水検査での確定診断を経て、誕生を待つことになりました。

俊輔さん:
「羊水検査は侵襲性もありますから、受けるかどうかは妻そして医療スタッフの方々と慎重に話し合って決めました。受検を決めたのは、生まれてからの体制を万全に整えるためです。18トリソミーの子は生まれてみるまでどんな状態にあるかわからない部分が大きいです。それに対して最大限手を尽くせる状態で迎えたい、そのためには確定診断が出ているほうが医療的な処置も受けやすいからです。もちろんこれは私たちの場合の思いであって、どのような選択をするかは子どもの状態や家族、医療者の体制などによってそれぞれだと思います。

お世話になった病院では、あらゆる出産と同じように、希の誕生を心から祝ってもらいました。いろんな場面で柔軟に対応もしていただき、ありがたかったですね」

出産は経膣分娩を選択。生まれたらすぐに我が子を抱っこしてあげたい、という妻の希望に沿ったものでした。18トリソミーのある子の出産は帝王切開になることが多いですが、これも担当医と話し合って決めました。希望通りに生まれてすぐ、希さんは母の胸に抱かれ、そして33分間の”生”を生きました。

父親として夫として、嬉しさも楽しさも動揺も妻と共有して過ごす

18トリソミーの診断を受けてから3カ月弱、妻とともに子の誕生を待った俊輔さん。父親として、また夫として、子の誕生を待つ嬉しさや楽しさも、動揺する気持ちも妻には率直に見せながら過ごしていたといいます。

俊輔さん:
「私が感じたのは、十月十日といいますが、お腹の中で子どもが生きていることを実感している妻と私とでは、どうしても子どもとの関係性は同じではない、違いは大きいということです。それはとても羨ましいことで、でもどうすることでもできないことでもあって。

じゃあ私にできることは何かというと、努めて“普通に”過ごすことでした。18トリソミーと聞いて私も動揺しているわけですが、それはあえて隠すことはしませんでした。でも子どもが生まれてくることに対しては、いろんなことを楽しんで見せる、喜んで見せるようにしていました。妊婦健診にはもともといつも同行していましたし、妻が関心をもって調べていることは自分も一緒に読んで、情報も全部共有していました」

一方で、俊輔さん自身は、仕事で物忘れが激しくなることがありミスが頻出していたそうです。当時は自覚していなかったものの、自分が動揺していたことの表れだったのではないかと振り返ります。

俊輔さん:
「仕事の予定がすっかり頭から抜けてしまうことがよくありました。手帳に書いても忘れるんです。考えてみれば、私もけっこう大変だったんだろうな、それは当たり前だなと……。でも当時は自分自身で、それが問題だと捉えられていなくて。特に対処することもありませんでした。こういうときに自分のことに目が向かないのは当然かもしれませんが、人間そうなるものだ、ということを知っているだけでもいいかもしれませんね。職場には状況を伝えていたので、周りの人もそんな自分に配慮してくれていたと思います」

3年後に生まれた長女もともに、一緒に生きている感覚

希さん誕生から3年後、ご夫妻は女の子を迎えました。奇しくもお誕生日は希さんと1日違い。9歳を迎えた娘さんも含め、ご家族の毎日には、当たり前のように希さんの存在があります。

俊輔さん:
「娘は希のことをにいちゃん、にいちゃんと呼んでいて、お仏壇にお菓子をあげたり、さっきもイチゴを供えたんですけど『にいちゃんのとこにあがったイチゴ、ちょうだい』なんて言って食べちゃったりしています(笑)。

娘にとっては、兄の存在は確実に影響を与えていると思います。我々夫婦の中では赤ちゃんの姿のままなんですけど、娘も含めた家族の中ではお兄ちゃんとしてそれなりに頼もしい存在になってるんです。不思議なものですね。忘れるなんてことはあり得ない。一緒に生きていくという感覚でいますね」

希さんが社会的な存在であることを、写真展を通じて実感

希さんを迎え、そして見送った同じ年、俊輔さんは18トリソミーのお子さんたちの写真展を観に訪れました。それをきっかけに、有志で行われている写真展の運営にも関わるようになります。

俊輔さん:
「いろんな成育歴の子がいて、でも自分の子どもの話をしたい、見てほしいという思いは、ある意味みんな一緒なんですよね。自分たちでよく『我が子自慢です』なんて言うんですけど、その姿が体現するものは、本質的な親としての心だと思います。

展示には出さないけれど、写真を手に持って訪れ、話をしていくご家族もいます。年配のご婦人が成人の娘さんに連れられて、「これしか残っていないの」と何十年も前の写真を1枚だけ持っていらしたこともあります。これから生まれるんですという人にもお会いしたことがあります。

18トリソミーの子の写真展に関わっているのは、その親の心を形にすることで、希やいろんな子どもたちが、社会と関わっている、社会的存在であることを示すことになると考えています。

私たちは生まれてくる希に対しては、親として様々な選択をしなければなりませんでした。積極的治療をせず命の力に委ねたことは、本当に正しかったのか、そんな思いがずっと引っかかっていたりします。そういう思いって、すっきりさせられることはないんですよね。でもそれを抱えながら生きていくのが人生だと私は思うんです。これからも、18トリソミーの子と家族に関わっていきながら、希とともに生きていきたいと考えています」